クラウン


西日に照らされると、どうも薄ぼんやりと見えてくる風景があって、立派な門柱と、その奥に白い建物が見えるような気がするのですが、集中しても判然としないまま、もう何年も経ちます。

辺りは緑に包まれていて、それが学校なのか軍事施設なのか、あるいは病院だったりもするのかは分からないですが、少なくとも今この時代のものではないなと。

それともう一つ、部屋の中が見えました。窓際に座卓があって、たぶん本と一輪挿しが置いてある感じなんですけど、あまりにシンプル過ぎて間借りでもしているような印象というか。

これまで工場だったり、木造校舎だったり、山を登っている軍列だったりの風景をハッキリと見たことがあったんですけど、のち追加で見えてきた風景がこの2つ。これ以上は集中しても今のところ見えてこないです。




「ザ・クラウン」のファイナルシーズンを見終えました。

エリザベス女王が崩御するところまでがしっかり描かれているのだろうと思っていましたが、そうではありませんでした。けれど見終えたあとで、あの終わり方で納得できた感じです。

あんな揃いも揃って実物に似た俳優陣がいたもんだなあって感心しましたし、演出もテンポも加減が丁度良く、内容も濃厚で、非の打ち所がない見事なドラマでございました。

現在勉強中のイギリス史のほうでは、第二次世界大戦が終結して時代は冷戦に入っていくところで、延いてはエリザベス2世の治世に入っていくんですけれども、彼女は私自身もリアルに知っていた王様ということもありますし、このドラマを見終えたあとですから感慨深いものがあります。

子どもの頃って、ただ王様が羨ましいと思っていたんですよね。贅沢ができるとか、威張れるとか、たくさん宝石に触れられるとか、そういった表面的なところしか分からなかったから。今じゃ例え譲られてもなりたくないものです(笑)

今は亡きエリザベス女王に、改めて「お疲れ様でした」と言いたい。

第二次世界大戦下では、日本という国がだいぶ世界的に邪魔になっていた感が、読んでいる本からもひしと伝わってきます。

ドイツが降伏して「残るは日本のみ」みたいに書かれていて、読んでいて何だか申し訳ない気持ちになりました・・・。

あひるの湯


カルディで売っている担々麺の素が好きでちょくちょく食べているのですが、クックドゥの四川式マーボーの素も好きで、自分の口には四川寄りの味付けが合っているのかなあと改めて感じました。

和食を除いては、西洋料理よりも中華だとか韓国などの東洋料理のほうが好きな傾向にあって、幼い頃より今でも一貫して変わらない一番の好きな料理が八宝菜なんですよ・・・。それも、母親が作る八宝菜がすごく好きで。

店でも頼まないし自分でも作らない、母親が作った八宝菜のみ食べるという徹底ぶりなのですが、いかんせん材料も手間もかかる料理なので母親は躊躇ってしまうんですよね。だけど、たまにのっこりと作って持たせてくれます。感謝感謝。

先日、昼はカルディの担々麺を、夜は材料が揃っていたからルースー飯を作って食べまして、その日は中華三昧でした。




職場の同僚数人と日帰りで不老不死温泉のバスツアーに行ってきました。県内とは言え津軽地方にはこういった機会でもなければ行くこはないです。

当日は残念ながら悪天候で、強風と横殴りの雨に打たれながらも、それでも絶壁の下の露天風呂まで行かないと気が済まないということで絶叫しながら入ってきたわけですが、案の定凄まじかったです。

行く前に思い描いていた、日本海を一望しながら穏やかに湯に浸かるというイメージからはだいぶかけ離れたもので、なにかチャレンジャーの旅レポのような状態でした。

しかしながらバスガイドさん曰く、アクシデントほど思い出に残るものらしいです。まあ、そうでしょうね・・・。

写真は以前どこかのガチャガチャで購入した手提げバッグでしたが、今回大いに役に立ちました。フェイスタオルと、クシと、ミニシャンプーセットが入って満杯になる程度のたいへん丁度よいサイズで、こういった観光での入浴場面にぴったりです。




自宅のテレビ用アンテナが老朽化で折れてしまい、屋根の上で無残に倒れていました。

普段からテレビ自体ほとんど見ないし、いざとなれば民放ならティーバーでも視聴できるから差し支えはないと思いきや、NHKだけは別だったことをすっかり忘れていてアワアワしてました。

朝ドラ、大河、映像の世紀と、ほかにも「正直不動産2」を楽しみに視聴していたもので、いろいろと非難されているNHKではあるものの、自分にとっては見ることが出来ないと困るチャンネルでございます。

旦那がNHKプラスに登録をしてくれまして、無事、正直不動産の最終回を見届けることが出来ました。これまた感謝感謝ですね。

病院去ってまた病院

どこだかの町長が99件のセクハラで訴えられている問題で、内容はよく知らないけれど、とにかくあと一件で100になるという数字のほうが気になって仕方ないです。同じ女性として不適切かも知れないけど「あと一件で」と言いたくなるこの複雑な気持ちを分かってほしい・・・。

自身はセクハラを受けたことは恐らく無いですが、過去にストーキングと痴漢の被害に遭ったことがあります。高校の頃だったんですけどね、バス停から家までついてこられた時は本当に怖くてどうしようかと思いました。

男から見ると、女ってやっぱり女なんですよね。もうそれしかないんだな、って。




不適切といえば、ドラマ「不適切にもほどがある」を毎回わくわくしながら視聴しています。昭和ってなんかイイなあって思いながら(笑)

もともとレベッカの曲が好きで聴いていたところに、母親の影響で安全地帯とか、小林麻美さんの「雨音はショパンの調べ」だったりも好んで聴くようになりました。ほかにも、良いなあと思ったものをその都度。

ドラマのようにタイムトラベルは出来ないけれども、音楽を通して頭の中はその世界に入り込めることって結構あるんですよね。当時の風景だったり、匂いっていうのが何ていうかこう、ブワーっと来るような・・・。




乳がん術後においての母親の通院が、こたびの定期検査をもって終了しました。主治医から「卒業」と言われたそうです。

乳がんの場合は術後10年くらいは診てもらえるのだろうと思い込んでいたので、ちょっと拍子抜けしてしまいました。今後は自分で定期的にマンモグラフィー検査を受けてくださいとのこと。

かれこれ付き添いで6年通った市立病院。一度と母親をひとりでは行かせませんでした。もう心配で気が気でなかったので・・・。

総合受付がある広間っていうんですか・・・二度とここに来ることがないよう祈りながら、天井や廊下、行き交う人たちをボーっと見てました。これから診断を受ける人、これから治療を受ける人、治療中の人、そして治療を終えた人とさまざま。

この6年を経て、私は医者を心から尊敬するようになりました。今いちばん尊敬している職業は医者です。医者がいてくれるおかげで治るところは治るのですから。もう感謝しかないですよ。

このたび母親が新たに白内障を患いまして、事情があり、かかりつけからの紹介で岩手の大学病院のほうで手術を受けることになりました。先日、紹介状を持って改めた検査を受けに行ってきたんですけれども、病院が古くてですね、田宮二郎さんの白い巨塔みたいな感じだったんですよ。

こういう雰囲気も個人的には嫌いではないけどね・・・

手術は6月なんですけど、一ヵ月前検診とやらで来月の下旬にも一度行かなければなりません。一泊入院をするか否かのところで母親が悩みまして、結局は入院することになったのですが、手続きの際に母親が看護師さんに「あの、幽霊とか出ませんか?」とか心配そうに尋ねていたんですよ。

「え?そこ?」って思いました。ユーチューブで散々とブルーシーのチャンネルとか見ていた人なので、「あれヤラセだから」と何度と諭しても本気で信じていた人なので、やっぱりそこが気になるんでしょうかね・・・。

残念ながらご家族は病院には泊まれませんので、私は当日は近くのホテルで待機するつもりです。

チオビタゴールド


かれこれ2〜3年ほど前から半年に一度の頻度で自主的に乳腺クリニックでエコー検査を受けていて、つい先日も受けてきたのですが、毎度ながらアレ・・・なにげに気持ちが良くて困っています。世の女性たちはアレをどう受け止めているのでしょうか(苦)

マスクを着けているから多少ニヤけてしまってもバレないので助かっていますが、マスクが無かったら口元の緩みを隠し通せる自信が私にはありません。

マンモグラフィー検査は大人泣きするほどクソ痛く、エコー検査はいろんな意味で笑ってはいけない何とやら状態で、もうどうしたら良いんだか・・・。だけど検査はちゃんと受けたいし(泣)




このあいだ、旦那がひとり「たびキュン早割パス」で東京に行ってきたのですが、時間があるなら「乗り鉄」になりたい彼にとっては非常に充実できた旅だったようです。東京のみならず群馬のほうにも行ってきたそうだ。

いつもユーチューブでスーツ君の動画とか、他にも乗り鉄系の動画なんかもいろいろと視聴していて、株式のほかに電車のことにもやたら詳しい人なんですよ。

東京って、駅のホームで流れる効果音が印象的じゃないですか。この音を聴くと「東京だなあ」ってなるやつ。よほど楽しかったのか、帰ってきてからもユーチューブでそれを聴いたりしていました。最大限解放されたのだと思う。

一緒にそれを聴いていたら、私は私でゆいレールのメロディーを思い出して、自分のほうは沖縄に行きたくなりました。




私は昨日まで10連勤でした。

いろいろと事情が重なってのそれだったのですが、自分も意地になって有休は使わなかったし、ほんとアホだなって思うんですよね。普段は全く飲まない滋養強壮剤とか飲んだりしてね・・・。普段は飲まないぶん、珍しく飲むと効き目が抜群でした。

旦那が笑いながら「これはどうだ?」と、若かりし頃の時任三郎さんが出演していたリゲインのCM動画を見せてきたけど、「兵隊でもないのに24時間はさすがに無理だべよ」って言って返しました。

無理だなあとか、嫌だなあとか、そういう気持ちが勝った時は有休を使おうと思っていたんですけど、滋養強壮剤の力を借りながら「まだ頑張れる」って躍起になっていたら、本日祝日まで何とか持ったのでした。起き上がれなくて昼まで寝ていました。

全身が筋肉痛っぽいのと、背中がズーンと重たいですね。もう若くもないのだし、変なところで意地を張って頑張るのはやめたらいいのにね自分。

青春の品


9歳から26歳までを過ごした町を通りかかって、そのとき旦那も一緒だったので、自分が卒業した小学校と、卒業した中学校と、始終住んでいた公営住宅とを、案内というか・・・まあ案内したんですよ。全部が揃って一本の道に集約されているから何となく流れでね。

中学校からスタートをして、まっすぐ下っていくと家があって、それを過ぎて更にまっすぐ行くと小学校があるんです。

長いこと過ごしたこの町を心から懐かしいと思えるようになったのは実は最近のことで、去年ある日突然のことでした。それまでは・・・なんだろう、どちらかと言えば嫌いで近寄ろうともしなかった町だったんですよ。

思春期から社会人までの過渡期を過ごしたわけですが、都度友人たちもいたし、母方のイトコ連中も近くに住んでいたので、それなりに遊んだ楽しい思い出もたくさんあるんですけど、だけど嫌いな町でした。

つらい思い出もたくさんあったからなのか、ともすれば風水的な問題だったのか、よく分からないけどね・・・。やっぱりあると思うんですよ向き不向きの土地って(笑)

それより以前の、幼少の頃に住んでいた町がとても好きで、この新しい町に越してきた当初から子供ながらに「私はあの町に帰りたい」という思いが強くあったのを覚えているし、これまでも懐かしさに振り返るのは常に幼少の頃に住んでいた町のほうでした。

たぶん、つらい思い出もひっくるめて懐かしく思えるほど自分が年を取ったか、嫁いだら市町村自体が変わってしまったということもあって、そのショックも相まっての化学反応なのかも知れません・・・。

ダンボールに詰められて実家に放置されていた私の青春の品ですが、ついに母親に邪魔にされてしまったので、私のもとへと戻ってきました。一人暮らしをしていた時も、なぜか実家に置きっぱなしだったんですよ。

ダンボールを開いて改めて中を確認したら、まあ写真のとおりで・・・。せっかくなので、ちゃんとしたクリアケースを購入して収めたのでした。

確かにあの町が嫌いだったけれど、私はそこで多くの青春を過ごしたし、大きく成長できた場所に他ならなかったことを、この青春の品が教えてくれているような気がします。このタイミングで手元に戻ってきたところに、また意味があるのかも知れないですね。




先日放送された映像の世紀より、見出し「世界が揺れた2つの年」の回が面白く、録画をしていたこともあって、まさかの2回目を視聴してしまいました。

1968年と、1989年の2度にわたって世界規模で起きた若者たちの反乱によって、ドミノ倒しのように共産党政権が倒れ、社会主義国で相次いで民主化が果たされ、ついにベルリンの壁が壊されたという内容のものでした。

ナレーションの声だったり、メインテーマの「パリは燃えているか」が、いつもながら内容を一層に引き立てて、見る者を一気に虜にしちゃう魔法の番組であると私は思っています(笑)

今の日本は、若者をないがしろにしている感が否めません。何かと話題の中国だったり、何かと話題の北朝鮮みたいな国に比べたら、総理大臣を「増税めがね」と呼べちゃっている時点で日本はとても平和な国のように思えるけれど、実際のところ国は若者たちから搾取することしか考えていないのが明らか。

あとで若者たちにひっくり返されても仕方がないし、いつか日本という国自体が無くなっても仕方がないですよね。
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地 域 青森県
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