との評価?キャッチフレーズ?を大して話したこともない知り合いから戴いたのだが、びっくりするほど的を射ており大変驚いた
あまりにドンピシャなので一瞬で気に入ったくらい
ひとの話を聞くことは好きだ
自分の知らなかった相手の一面を知ることも出来、喜びや親しみが出てくる
何か辛いことがあったのならば、せめてその苦しみを共有することで少しでも支えになれればと常に思っている
大切な人達が、心から笑っていてくれたらとても幸せだと感じるし、相手の苦しみが自分のことのように辛くて堪らない
と同時に、そんな話を何故私が聞かねばならないのか、何故カウンセラー紛いの役割までせねばならないのか、何故複数人もの人間達の苦しみを共有しなければならないのか
憎しみのようなものがぐらぐら湧いてくる
誰にしたって、私に意見や意思など求めてはおらず
ただただ自分の吐き出したいことを好き勝手に吐き出し、私に底無しの肯定と沈黙と同調を要求してくる
心のセフレなんて言うとずれるだろうか。とにかく都合が良い
ならはじめから首を突っ込まなければいいだけの話なのに、少しでも透けて見えると、声を掛けずにはいられない
自分からその環境を作り出しているところが厄介だ
気になるといえば気になるし、どうでも良いといえばどうでも良い
助けたくて堪らないし、そんなことをしたって私には何の救いもメリットも無いと思う
うんうんと話を聞きながら、どんどん引き込まれ、なのにどんどん褪めていく
常に自分の中に二人の人間が居るみたい
本当にびっくりするほど真逆なのだ
本来の私の性質は、他人に興味が無く、嫌悪感まで抱きかねない方
人へ執着する性質は、身に付けざるを得なかったのですっかり身体に馴染ませた後天的なもの
とてもちぐはぐで、どちらも私の中では本物で
ほんの小さな愚痴を一つ受けただけでも、心の陣取り合戦の火蓋が切り落とされる
異常なまでに他者の幸せや相互依存を求める私
一切の関わりもしがらみも切り捨てたくてすぐに自死を求める私
きっと誰しもが同じ葛藤を感じているのだと思う
他人のそれと自分のを比べられるものではないが
周りの人達が、どうやってその折り合いを付けているのか見当もつかない
例えばリアルの知り合いと繋がっている媒体では、出来るだけ人から話を聞いたことなどは肯定的に書くようにしている
話してくれてありがとう、と、内容によるが伝わらない程度に憎しみを混ぜて
大体私の言動には、二つの本心がぐちゃぐちゃに混じり合っているように思う
蓋を開けてみれば自身のコントロールが出来ていないだけの話だが
心優しきゲス野郎は、言い得て妙だとしみじみ