将来を考えると幸せの定義が欲しくなるね。
成れるもの、やりたいこと、できること、わたしは何をどう選ぶんだろう。たとえ、成りたいものになって、やりたいことをやって、できることを生かしたって、幸せになれるとは限らない。
どうやったら、わたしは幸せになるのかなぁ。
贅沢なことを悩んでいる。
ちまたにあふれる成功体験談は意味のない,役に立たないものらしいです。
理由@ 運や時流がからんでくる
理由A 明確な「成功できた要因」はわからない
理由B 人により 成功要因は異なる
一方で失敗談ほど頼りになるものもないのだとか。
理由@ 失敗の理由は明確である
理由A 失敗の要因は常に同じである
つまり,成功する・成功しないは本人の努力でどうしようもない部分だけれど,失敗しないことは本人の努力次第でどうにでもできるということです。
失敗したとしたら,その人が失敗しそうなことをしたから。それが理由です。
とある有名な野球監督も「勝った時はなぜ勝ったかわからないが,負けた時はわかる」 と。それはそういうことなんですね。
ってことで,失敗談を学び,反面教師として実行することが「失敗しないコツ」で,それを続けているうちに「運が良ければ」成功するかもね,ということらしいです。
読んでわかる通りの受け売りなので,信じる信じないはご自由に。
カウンセリングはスキルなんだと最近よく思います。
カウンセリングの基となる理論体系や考え方は、理系よりの自分にとっては理解しにくい部分が多いです。
一方で、純粋にカウンセリングするための技能を学ぶと、面白いことに「カウンセリングが有効である」ことに疑いを持ちにくくなります。
カウンセリングには2種類の技能があって、個人に焦点をあてたものと、関係に焦点をあてたものです。
関係に焦点をあてつつ、必要に応じて個人に焦点をあてたカウンセリングを行う、というのが望まれるカウンセリングです。
個人に焦点をあてたカウンセリングというのが、一般的に想像する、ロールシャッハetc.の「この人はこういう人だ」と見立てて「この人のここを治療せねば」とする方法です。心の病を治そう、という部分です。
一方で関係に焦点をあてたもの、というのは問題構造をメタ的に把握し、どういった方略で解決するかを考えるカウンセリングです。
つまり、戦略を練る→必要であれば個人療法 というのがカウンセリングの大まかな流れなんです。
わたしが理論体系などでいまいちしっくりこないのは、個人療法の側面です。
ですから、関係に焦点をあてて戦略を練る段階のシステム理論の考え方は、むしろとても理解できますし納得します。
そして現在学習しているのがシステム理論をコンサルテーションの具体的なやり方です。
これは一言で言うと、システム理論に基づいた、会話を進めるうえでの『言い方』の技術です。
あえて『言い方』と書いたのは『話し方』や『聞き方』と記載すると、「開いてお目を見て話すのがよい」とか「肯きながら聞くのがよい」と、別の内容を含み誤解を与える可能性があるからです。
ここでの『言い方』の技術とは、専ら「問題構造を正確に把握する」ために「相手からうまく情報を引き出す」ことで「問題を解決」に導いていく「対話を進める」ものです。
この理論の考え方は「原因(問題)を解決する・治療する」のではなく、「人が“問題”と認識しているものを解きほどくことで悪循環を断ち切る」というものです。
ですから、第三者の視点で、クライアントの問題認識を把握し、悪循環を断ち切るための働きかけをする、ということになります。具体的には「文脈を読み取ること」「クライアントの認識している“問題”として捉えること」、それをはっきりと示す話し方・言い方で対話する技術を用いることになります。
それは訓練しだいで身に着くものであり、専門的であり、なるほど、確かにカウンセラーは専門職なのだと思わされます。インチキじゃない。不必要でもない。確かに必要な、信頼できる、専門技術を持ち得た職業なのだと。
そういうことで、少し敬遠していた部分もあったカウンセリングも、今は納得しつつ勉強中です。
記憶は嘘を吐くものだ。
わたし自身を欺くものだ。
覚え間違えたのかもしれないし、覚え方が悪かったのかもしれないし、思い出し方に偏りがあったのかもしれないし、どの部分とも言えない。
でも。
記憶は嘘を吐くものだ。
わたし自身を欺くものだ。
科学的に証明された事実だから、それを心に留めておいて、不幸なすれ違いを減らしてください。
からはじまって「学び」とは何か、から現在の学びの社会的状況などを考察しようとして力尽きました。
論点がずれてきてしまって、てへ。
追記に書きかけ置いておきます。
そのうちリベンジ、する。