久しぶりにぽかぽかした一日だった。家の裏のアイスバーン状態だった道路がやっと溶けてくれた。このまま気温が上がり続け、雪なんて降らなければいいのに…。
今日は仮設住宅を廻ってきた。浪江から避難されてる女性は、五回も避難したとおっしゃっていらした。やっと落ち着いたはいいけど、この先仮設を出たらどこで暮らせばいいのかって考えると眠れなくなるそうだ。働くところを探すことも早くしたいとも。とにかく避難続きで、深く疲弊しておられた。「ここにはいつまで居られるのかと考えると、また眠れなくなります」。
仮設住宅で暮らすのは原則二年と決まっているそうなのだが、福島県内だけでのべ一万六千八百戸。アパートなど民間賃貸住宅、いわゆる“みなし仮設”で暮らしているのは二万四千戸ある。そのほとんどがそれからどこで暮らすか決まっていないのだ。借り上げ住宅で、高台へ集団移転するのは全体のほんの一部。
あの震災から丸二年になろうとしているのに、未だに先が見えないというのは何ということだろう。政府ももっともっと被災地に歩み寄ってくれたらいいのに…。
帰宅したら、らいちが私のもとに歩いてきて玄関で「まむ…まむ…」言っていた。私はママではなく“まむ”らしい(笑)。夜まで爆睡し、兄がチィ姉の家まで送っていった。
拍手ありがとうございます!
外猫のゆずだかレモンだか(姪が名前をつけたのに忘れた!)がオメデタらしく、お腹がパンパンになった。父親はミニチッチかしら?
微かな地震なのにベッドがプルプルして目が覚めた。ちょっとだけ早起きして、買い物に出掛けたはいいけど、この頃ヒザの調子が悪くてしんどかった。
何度も転んでぶつけているからか、また骨にヒビが入っているのかもしれない。もう何度もやっているから慣れてはいるけど、腫れが引くまで辛いのだ。病院に行くと、足の麻痺のことやいろいろ体のことを最初から話さなきゃならず、気が乗らない。
間接が弱くなったからCMでお馴染みのグルコサミンを飲み始めた。まだ三日ぐらいだから効果はわからないけど、少しは楽になるかな。
イーサンは年度末で大変らしく、なかなか私との時間が取れない。ちょっと苛々気味の電話の声がなんかいい(笑)。もっと苛々するがいい…なんちゃってね。
↓お疲れ気味の皆さんにこれを贈ろう
西田敏行/シャンソン風 『与作』
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何だか地震が頻発している。夕方の栃木北部で震度五強の地震の時、久々に緊急地震速報が鳴ってあたふたしたけど、一階にいたからかわからないが揺れが感じられなかった。お掃除のダ○キンの人が来ていて、二人でしばし落ち着かなかった。
栃木北部は我が家から目と鼻の先。義兄の職場が那須塩原市にあるので、安否が心配だった。いちばん強く揺れたのが日光市。雪が深い時期だから雪崩も起きたりして大変だっただろうと察する。
今年は日光東照宮の大規模修復が行われる。東日本で一、二を争うほどパワーがある場所。風水的にいうと、そこから江戸城まで龍脈の気が流れて、日本は守られている大切なところなのだ。日光が大地震で土地が揺れるということがどういうことか説明すると、とても恐ろしいので割愛させていただく(苦笑)。とにかくこれは尋常ではない。
ちなみに龍脈ラインの鬼門にスカイツリーが立っている。どうしてここに立ててしまったのか、もう不思議でしょうがない。私は、日本を守る結界を壊そうとしている輩の仕業に違いないと思っている。冗談抜きでね。天皇陛下はたぶんその事をご存じでいらっしゃるはずなので、自らスカイツリーに上られて結界を守ろうとされたのかもね、とも思っている。
まもなく震災から丸二年になるというのに、未だ地震とは解放されていない。
「俺はいいよ。だって俺が当たったら他の人が外れちゃうんだろ?悪いよぉそれは〜」と大森南朋が言う缶コーヒーのCMがあるけど、イーサンも同じようなことを言うから笑っちゃう(笑)。人がよいのは良いことだけど、良すぎてもあれですな…(笑)。
↓boss辞退編CM
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北風が強くて、時おり突風で地震みたいに家がミシミシいう。夕方、粉雪が舞って少しだけ積もった。今年の冬はとにかく寒い。こんな寒さは滅多にないんじゃないかな。
今日は兄姉たちが集まり、賑やかだった。雪で外の作業もできず、ミーティングという感じ。早くお花畑に肥やしを入れて種を撒きたいところだろう。
私は風邪がかなり良くなってきて、気分も晴れ晴れしてきた。さっきまで執筆していて、原稿用紙二十枚を飛ばして書き上げたくらいである。校正の人が読んだら誤字だらけだったりして(笑)。
大河ドラマ『八重の桜』が見ごたえがあって日曜日が楽しみでしょうがない。家訓にある将軍家・朝廷にお仕えするというのを守り通す若殿様・松平容保だが、会津の家臣たちは猛反発。涙ぐみながら自分の思いを通す容保を演じる綾野剛は、本物の松平容保が憑依していると思う。でなければ、あんな演技は出来まい。「あのとき、自分の判断を変えていたら」と、大敗北した戊辰戦争後に容保はとても後悔していたさそうだ。その話はまたあとで語ることにしよう。
『八重の桜』は、素晴らしい脚本とキャステングに会津の人たちが喜んでいるらしい。会津が舞台のドラマは1986年の『白虎隊』以来。私が小学生の頃に放送した。容保役は風間杜夫、西郷頼母役は里見浩太郎だった。ずっと頭の中に焼き付いていたから、今の配役は新鮮に思っていたけど、今は頼母は西田敏行でしっくりきている。綾野剛は風貌が似ていることから、なるべくして選ばれた人ではないだろうか。八重役の綾瀬はるかは全くご本人と似ていないので、まだあれだけどね(笑)。でもきっと戦場シーンでは八重の魂が入って圧倒されるはずだ。
我が家は義兄(チィ姉の夫)が二本松藩の武士の子孫なので、いずれはドラマに出てくるのではないかとワクワクしていたりする。
『八重の桜』は福島に元気を与え始めている。これからもっともっと盛り上がっていくはず。ワクワクするね!たまらない。
底冷えが身に凍みる。一年でいちばん寒いこの時期は何をしてても寒い。寝てて肩が出てると寒くて目が覚める。長い冬はまだまだ続く。
風邪は昨日よりずっと良くなった。熱っぽさからくるぼんやり頭のせいで何もしたくない。これではいかんと思い、シーツやカバーを洗濯したり、雑誌やカタログの整理、台所を磨いたりなんかしてやり過ごした。
誰も我が家に来ないと思ったら、ムクムクとらいちがこたつの中から出てきた(笑)。昼過ぎに出勤した兄がらいちをこたつに入れたまま出掛けたらしい。らいちはたくさん寝たのか、眠そうな顔であった。
夕方、私専用の原稿用紙を作ってくれていた元文房具店の店主から電話が来た。以前書いたが、いつのまにかお店と連絡がとれなくなっていた。
店主曰く「私事ですが突然の病に襲われ、店どころではありませんでした。お得意様にはご連絡せずにここまできてしまいました。もう再開の目処はつきません。申し訳ありませんが当店は閉めることになりました」とのことだった。私だけのオリジナルの色で、名入りで作ってくれていた原稿用紙はもう完全に入手不可能になってしまった。残念、無念。しかし、どうしようもない。そんなことなら数枚でも取っておけばよかった。後の祭りとはこのこと。
また寝るとしよう。早く治さないと誰かさんとデート出来ないんだ!(笑)ホホホ…
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