2015-2-24 22:09
家→病院→職場という日々が続き、少し疲れた僕は、週末、買い物途中に本屋をぶらつかせてもらった。
仕事関連の参考書、雑誌、記録簿、スポーツトレーニングの本、そして新書。
「ごめん、待たせてるね。あと二種類見たら終わるから」
「あぁ。…しかし、ここは医療系の本少ないね」
「?? うーん、ファミリー向けのお店だからね、」
……………
「鮎川、決まったか?」
「あ、うん。これとこれ、二つ買うか、片方我慢するか悩んでるんだけど…」
「ふーん。雑誌はいらないんじゃないか? ていうか、本がナメてやがるの」
「は?」
見ろ、と言わんばかりに榊が指差す先には、
「…血管…」と特集名の書かれた平積みの書籍。
それが?と顔をしたら
「心臓の血管ばかり!
全然参考にならん!」
思わず笑ってしまった。
榊には感謝してるし、その分申し訳ないけれど、それに関する本は既にざっと探したけれど存在しないみたいなのだ(機関誌は除く)。
僕が自分のためだけに本屋をうろついてる間、榊は僕のための本を探してくれていたんだね。
なんだか少し自分がカッコ悪く思えた。自分のことばっかり。
2015-2-24 21:52
セカンドオピニオンをとることにした。
申し出たら、先生はがっかりしたような喜んだような不思議な反応だった。
「先生」といっても30歳前後に見えるから、若い方。
「ここの先生は、断然僕よりも詳しいので…」
という声がわずかに震えていたのは、どう捉えたらいいのだろう。
先生の診断や治療(しないけど)計画に納得しているが、病気についてちゃんと知っておきたい。
それが第一の目的。
この病気に気づいてくれたのは先生だってことは変わりない。
その前の科の先生よりも、じっくり画像を見て、それを指示しながら丁寧に説明してくれて、微かな映りにも気がついて、様々な想定をしてくれた。
偉そうな言い方になるが、すべてにおいて適切だったと思ってる。
セカンドオピニオンは=転院ではないつもり。
仮に転院になっても、僕は先生への感謝の気持ちを持ち続ける。
この道を拓いてくれたのも、まぎれもなく先生だから。
2015-2-14 15:06
飲んでる薬が件の血管に良くないらしく、今日をもって中止となった。
ダメというわけではないけれど、リスクを考えると、という具合。
ある時、救急を呼ぼうとしたほどつらかったことから投薬が始まった。
仕方はないが、正直なところ困る。そして不安だ。
血管のほうの専門医を見つけ、そこでOKもらえれば投薬再開できるだろうし、だめなら他の方法を考えよう。
こちらは、いくらかのしようがある。
しかしながら、こんな面倒なことになるとは。
生きるって簡単なようで大変なんだな。
2015-2-10 22:31
あまりまとまってはいけど、書き残しておく。
医師からの説明は、決していいものではなかったけれど、はっきりしたら、案外元気に過ごしている。
そもそもは、生まれもってしまったカラダのツクリらしいので、こうなったら開き直るしかないしね。
悔やみようがないのだから。
病気、体の仕組み、治療法、病院と調べたり勉強したりすることがたくさんになった。
生きてやろう、と思う日と、どうなってしまうんだろう、と思う日がある。
手術は難しいと言われている。
できなくない。が、効果も後遺症などのリスクも未知数だと。
医師は、誰も、手術をすすめないような風だった。
それ以外にできることはないのに。
最初はそれがショックだった。
定期的な経過観察という名の放置で見殺しにされるんだ、と思ったり、この病院は知識と経験不足で診きれないんだ、と思ったりした。
でも、昨日140ページくらいあるガイドラインを読んでいて、気持ちを改めた。
概要。診断。全て主治医が言ったことと同じことが書いてあった。
示されているのと同じ手順で確認して、診断していた。
主治医は分かっていて、手術をすすめなかったのだ。
元は別の科から紹介されてたどり着いた診療科。
専門医を紹介されるわけでもなく、こちらの都合で適当に予約した日で運任せに決まったような主治医。
でもその医師は、ちゃんと知っていた。
病院や科を転々とすることが少なくないこの病気にかかりながら、スムーズにたどり着いた今。
すでに十分助かってる気持ちだ。
2015-2-4 20:05
血管ぽい。腫れてるの。
まだどうするか決まってない。決められてない。
明日もまた足掻きに病院に行く。
仕事にやたら丁寧に取り組んだり、朝早く起きて家事を静かに行ったり。
それは単に閑散期で心に余裕があるからだけじゃない。
何かをしてれば気が紛れるから。
夜は眠れない。もしくは朝早く目が覚めてしまう。
検査した日からずっとだ。