梅雨ですねー。
水の音がずっと聞こえています。

そう言えば、父が2度目の手術でまともに喋れなくなってすぐの頃、
「雨の音がする。毎日雨が降っている」
と、集中治療室で言いました。
季節は2月。冬晴れの毎日でした。
医療機械の音がそう聞こえたのか、或いは耳鳴り的なものだったのか。
言葉が殆ど話せなくなったまま、2年ほどを病院で過ごし、父は亡くなりました。

父が最後に話した、父らしい言葉は
「悪いなぁ」
でした。
2度目の手術後、心拍数や血圧が異常に高い状態が続き、苦しげな荒い息遣いの下から絞り出すように私に言ったのです。
汗をかいていたので、何十分も扇ぎ続けていた私に。
その時、お父さんは助かる!と思って、嬉しかった。
時間が来たので後ろ髪引かれながら帰り、翌日また来ると、もう私たちの知る父ではなくなっていました。
わかる時とわからない時があったり、いつもぼんやりしているようで。
でも時々、一生懸命に話そうとしたり、私たちの話を聞いて笑ったりもしていました。
字も読めました。
私の名前(平仮名)、車椅子、テレビ、窓、と、ノートの一ページを4等分して書き、1つずつ見せると、正確に指をさしました。
ボールも手首だけで、カーテンに向かって投げました。父は野球が上手だったのです。
「お父さんは指をパチンと鳴らすのがうまかったよね」
と言ったら、やろうとしましたが、もう鳴りませんでした。
「私、できないんだよ。どうやるの?」
と聞くと
右手のひらの親指の付け根あたりを左手でトントンと指しました。
「あと、口笛も上手だったよね」
と言ったら一生懸命に吹こうとしました。でももう音は鳴りませんでした。

テレビも見ずに、ただ横たわっているだけで、あのよく動く父がと思うと、可哀想でなりませんでした。

夫と九州を旅行してきた話をした時、干潟の話をしたら「ムツゴロウ」と、言いました。
私にとっては、そのムツゴロウという言葉が、父から聞いた最後の言葉です。
もうほとんど何も言葉を話そうとしなくなっていました。

病院から出ることもなく、父は12月に亡くなりました。
最後は呼吸が止まったり、またふき返したり、この世とあの世を行ったり来たりしているように見えました。
それでも、耳元で音楽を聴かせたり、話しかけたりして、こちらが笑うと父も笑いました。
目尻だけで笑いました。
懐かしい、父の笑顔でした。

父が亡くなってもう3年が経つのに、私は今でも悲しくて寂しくて、ちっとも立ち直れていません。
どんどん遠ざかるのに、まだ父を近くに感じていたいのだと思います。

誰にも言いませんけどね。ここで書く以外は。

今日は神宮球場の試合が雨で中止となり、夫は予定通り早く起きて出勤するそうです。
宴会が入っているのです。

息子は彼女さんのお家に招待されています。
今夜はお泊りだそうで、私が指定した手土産も、昨日大宮そごうで買ってきました(笑)

息子、婿養子に行っちゃうのかな。

息子がそれを望むのなら、私に止めることはできない。
でも、あまりに子供過ぎて、あちらのご両親は呆れるのではないでしょうか。
そうだといいと思うのですが( ̄∇ ̄)

私はひとり留守番です。大事な仕事です。