私はとても幼稚な人間でした。
この歳になってもそう思うので、若い頃の拙さはいかばかりだったかと、誠にひれ伏すほどの懺悔の気持ちです。
なぜ急にこんな風に思うかというと、職場での人間関係が、ヒシヒシと骨身に染みるように迫って来たからです。
職場での事は職場で終わり。
と、あとのプライベートな時間には関係がないとまことに呑気に過ごして来たのですが、私の事で気に病んでいる方がいると知って、いやはやまったく久し振りに悩んでいるのです。
その人は普段から人の悪口ばかり言い続け、私はそれが耐えられず距離を置いたのです。
そんなの誰も聞きたくない。
関わりたくもない。
コロナ禍で、お昼休みも誰も喋らずに食べています。
なのでもう、何も集まって食べなくてもいいんじゃないのか?と、消毒だけはまとめてやれば効率的だとサッサとやっていたりしたのですが、
「避けられている」
「冷たい」
と、言っているそうで。
ああそうなのか。これが冷たいと言うならば、あの人の普段の言動は何なのか。
めんどくさすぎてもう( ̄∀ ̄)
そんなわけ。
でも。もし私のことを、家に帰ったらあとまで気に病んでいるとしたら。
イジメをする人は、学校の中だけの世界でその人を嗤い、面白がり、学校を離れればサッパリ忘れて、家庭という別世界で楽しい生活をする。
でも、イジメの標的の人にも家庭という別世界はある。
家族もいる。その人を大切に育ててきた親もいる。
可愛がってくれた兄や姉もいる。かもしれない。
イジメをする人が親と話をするように、イジメをされる人も親と話をする。
イジメをする愚かな子供は、そこまで想像する事が出来ないのだ。
イジメをした人は学校を離れれば、イジメの標的な人なんて思い出しもしない。
けれど、イジメられている人は、学校を離れても、自分の家の自分の部屋にいても、布団の中に入ってもイジメる人の事が頭から離れない。
灯りを消した暗い部屋で、天井に、あの意地悪そうな顔が浮かんでくるのです。
そんなふうにして追い詰めて、殺してしまったとしたら、本当に平気で生きていけるのですか?
イジメをする人は、幾つになってもその想像力が欠けているとしか思えない。
でも、もしかしたら今の私は、誰かを追い詰めているのかもしれない。
そうであるならば、できるだけ早く正直に、自分の考えを話すべきだ。
或いは、潔く姿を消す。つまり仕事を辞めて逃げる。
これは本当に避けたい。
仕事は続けたいのです。
私の考えを話す事で、私自身が孤立したとしても、構わないんじゃないか。
職場には仕事をしに来ているんだから。
なんて、こう書くと壮絶な悩みみたいですが、そうでもないです。
みんな大人ですからね。
これは日記なので、たまにはこんな愚痴もと思って書いてみました。
おやすみなさい。