旅先で撮った写真のうち、これなら見せてもいいかーと思えるものを4枚選び、写真にこだわりがある職場の先輩に見せてみました。
ら、批判してもいい?って聞かれたので、そりゃもうどうぞお願いします、とお伝えしましたところ、
・何をとりたいのかが伝わってこない
・「ふーん。で?」って感じ。テーマが絞りきれてない。
と。色や構図は綺麗な感じというフォローもしてくれました。
フォローの方はともかく、指摘された点は、あー、やっぱり。というのが正直な感想。
昔、高校の授業で油絵描いてた時にも先生から同じようなこと言われました。焦点絞れというか、一番描きたいもの、というのを決めて、力の強弱をつけなさい、と。
当時の自分は「全部描きたいのでそういうのは無理です」で先生のアドバイスはさっくりと退けてしまったわけですが。
あるものをただまるごとぶつける、というのは、多分、表現じゃなくてただの垂れ流しなんだろうなーと、今になって思います。
ひとつだけ問題なのは、
一つだけに決める、のが、どうやら私はとても苦手らしいこと。
テーマを絞りこむのもそうですけど。
現在、自分の人生の当座の目標を絞るのにも、難航しています。
もうこれでいいや、で決めてしまうのはどうかと思う一方で、ナントカの考えは休んでるようなもんだとも言うしなあ、とこれまた優柔不断袋小路に迷い込んでしまうのでありました。
写真に関しては、とる時は何も考えてません。
なんとなくこれがいいや、としか。
そこを明確に思考して撮れるようになると良いのかしら。
ただ、そこに感情をこめろと言われると、正直あんまり自信がありません。
一つ選べと言われたら、
散々迷った挙げ句、選ぶことそれ自体を嫌になって、面倒くさくなって、結局、どうでもよくなって放り出す。そんな気がする。
放り出さないために妥協してる?考えないようにしてる?
考えると気づいてしまう。
そこには何もない。
ただぽっかりと穴があいているかのような。
なにもない荒野に、ただ風が吹いているような。
本当に、感情って、情熱なんて、あったのかしら、なんて。
あるから撮ってるだけ、なんだよなあ。
描くという行為それ自体の歓びに没頭したくてしてるだけで、感情の表現ではないような気がする。
とてつもなく浅い自分の感性には、自分でも驚いています。
こんなんでも生きてこれたんだから、世の中ってのは不思議なもんです。
ああ、うん。結論も筋もないのか。だめじゃないか。
なにかをつくる、時には、いつの間にか「自分」が滲んでしまうものなんですね。
サイトで公開している創作もですが、精進していけたらいいなあと思っております。