マギーも幼稚園に行きたい

近所の子供達が幼稚園に通い始めました。
白い丸襟の紺のスモックをマギーも着てみたかった。
何故マギーだけ幼稚園に入れないのか、母に訊きました。
「あの子達はあんたほど賢くないから、小学校に上がる前に幼稚園に行くんや」
母はそう説明しました。
確かに彼等より早いうちから字が読み書きできました。
けど、あなたももう分かっている様に、
弱視だったから幼稚園に受け入れて貰えなかっただけでした。
それを身をもって知らされたのは小学校に上がった時。
幼稚園で教わったお遊戯や簡単な折り紙をクラスメートが楽しそうに。

今なら統合教育も極当たり前だけど、あの頃は障害児を家に閉じ込めて置くのが普通。
だから、盲学校の先生が各家を訪ねて、親を説得していましたね。
我が家にもそんな先生が何度も訪問されました。
母もマギーを盲学校で学ばせるつもりでした。
そのことで母と祖母とが毎日揉めていました。
全盲じゃないんだから、普通校へ行かせたい祖母。
だから、皆に負けないよう、幼い頃から難しい漢字を祖母はマギーに教え、
面には平仮名、裏には片仮名とローマ字が書いてある積み木を与えました。
絵本も日本昔話のを買い与えました。

マギーは一般校で学びました。
目が不自由なことでマギーが虐めに遭えば、祖母も気持ちが変わるだろう。
家庭円満の為に、短期間でも良いからマギーを入学させて欲しい。
母の切ない頼みを校長は断り切れなかったんですね。
そんな訳で、皆に付いて行くのにマギーなりに苦労し、虐めにも負けませんでした。
と言うより、自分は皆とは違うからそれもやむを得ないと納得していましたね。

小学校に上がるまで

一番古い記憶は曇空の下を母と歩いているものです。
淡い桜色と薄水色の花か何かが散らばっている柄の紅い四つ身袖の着物、
足下は水色の靴と言う、今思うと妙なコーディネート。
母に話すと、それはマギーが2歳半の冬のことだそうです。
もう1つの鮮やかな記憶は、真っ暗な部屋に細い光の線が1本走っていたことです。
隣の部屋に続く襖を細く開けて、マギーがそれに気付くのを家族で待っていました。
本当に目が見えているかどうか、皆は確かめたかったんです。
これも先と同じ頃でした。

記憶が時間に添って流れるのは、4歳からでしたね。
祖母の駄菓子屋、近所の児童公園のぶらんこ、塗り絵…。
弱視ながら、町内の子供達と鬼ごっこ、隠れんぼ、陣取りなどで遊びました。
毬突きや縄跳びは、姉や年嵩の女の子達が教えてくれました。
バリアフリーと声高に叫ばなくても、子供達は仲良しでしたね。
目が見えにくくて危険な遊びには、はっきりノーサインが出ました。
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